MMORPG ─ 多人数参加型のロールプレイングゲームは、沢山の人達と同時にプレイするので、スタンドアローンのゲームと違って、人が動かすゲームなので、いろんなことが起こって楽しいですよね。もちろんいいことだけではなく、悪いこともあるのですが…、それも含めて楽しめています。
そのむかし、FFXIを始めた頃は、SNSなどはなく、ソーシャルゲームもない。かろうじて2ちゃんねるやMixiがあったぐらい。一緒にゲームをする友人といえば、「もともと友人で、趣味が同じだった」とか「同じ趣味の近所の友人や親戚」 「ゲームセンターで仲良くなった」など、最初から直接の知り合いであるケースがほとんどでした。まさか、ゲームのなかで全く知らない人と知り合い、友達になるなんて考えられませんでした。そして、それは実際に起こりました。「これはすごいことかもしれない。ゲームには、秘められたポテンシャルがありそうだ」とぼんやりと感じていました。
FFXIVをはじめてしばらくした頃。「光のお父さん」っていうのが面白いよと、誰からともなく聞き、「一撃確殺SSブログ」を知りました。父親をゲームにいざない、正体を明かさずに一緒に冒険する。聞いただけで少しイタズラっぽい面白さがあるのですが、テーマはもっと深いところにありました。
その頃、光のお父さん計画はまだ進行中で、MMORPGの初心者にありがちなトラブルや感覚の違いからくるギャップなどを面白おかしくまとめたエピソードが満載でした。ゴールであるツインタニアを倒し、正体を明かす日は本当に来るのかと、半信半疑でずっと見ていました。
それがドラマ化されると聞いたときは、驚きました。しかも公開サーバーであるグングニルでゲームパートを撮ると聞き、さらに驚きました。完成したドラマはNetflixと地上波で本当に放送され、大いに話題になりました。このドラマを見るためだけにNetflixを我が家に導入しました。
正直なところ、これ以上の展開はないと思ってました。まさか映画になるとは思いませんでした。ブログから少しアレンジされていたものの、ほぼ原作に沿ったドラマ版がすでにあるのに、どうするのか。
結論としては、一本の作品として、物語のクオリティがグンとアップしていました。
今回の映画は、ベースは事実をもとにした物語ですが、2時間という時間に納めるための工夫というかアレンジが入っています。同じ原作でも微妙に解釈を変えたりするのはよくあることで、今回は妹がそれにあたります。しかしブログと違う部分の違和感は、ドラマ版のほうがより大きく感じました。映画はすでにドラマ版という前例があったためにショックが少なく、余計にそう想うのかもしれませんが。
今回の見所のひとつは、一新された俳優陣。アキオ役の坂口健太郎さんは、演技が秀逸。良くも悪くも繊細ながら華やかだった千葉雄大のドラマ版アキオに比べ、美形なのにどこか垢抜けすぎず、素直さや純粋さがにじみ出ていて、自然に演じられており、同じ「FFXIVプレイヤー」として好感が持てました。より等身大の仲間感というか、シンパシーを感じます。
一方の吉田鋼太郎さんのお父さん。誤解を恐れずに言えば、「宇宙人的なわかりにくさ」だった大杉漣さんのお父さんとは違った魅力を醸し出しています。よりリアルな父親像というか、子供から見て得体の知れないとっつきにくさと頑固さがありながら、内面には強い思いがある人物として描かれていて、こちらもより自然な存在感でした。
新しく設定された妹は、一見バラバラの家族をうまくつなぐ存在として機能しており、この存在があったからこそアキオととお父さんの人となりがシンプルでわかりやすくなった気がします。この物語の芯の部分にあるテーマはそのままに、盛りだくさんのドラマ版の贅肉を削ぎ落として、切れ味の良いお話になっています。
エオルゼアパートでは、解像度を下げてフレームレートを上げた効果がてきめんに出ており、とてもスムーズ。カメラアングルへのこだわりや、キャラクターの「演技」にも磨きがかかっていました。特にフレームレートを上げたことで実現しているスローモーションの表現は、バトルシーンでいい効果を発揮していました。また、専用サーバーにしたことで、レイアウトや時間、天気など、シーンによりマッチした画作りになりましたね。
ブログは、事実をもとにして書いた読み物。ドラマはブログをもとに30分6回のパートに区切られたひとつのシリーズ。映画も事実をベースにした2時間のドラマでカタチも少しずつ違いますが、テーマは全て同じ。
「劇場版 光のお父さん」は家族の物語。スポーツや芸術、技術的なチャレンジなどではなく、FFXIVを通じて分かり合う家族の物語。スポ根映画などと同じで、実は別段特別な話ではありません。「普通」のいい映画です。そして、いつも遊んでいるFFXIVは、スポーツや芸術、技術的なチャレンジと同じくらいポテンシャルを秘めた、素晴らしいものだと気づかせてくれる映画でもあります。