2019年5月16日。FFXIが17周年を迎えました。FFXIでMMORPGの楽しさを知りました。もしXIをやっていなかったら、XIVはやってなかったでしょう。

2002年のサービス開始直後、インターネット回線をアナログからISDNに変更したのですが、工事がサービス開始日に間に合わず、10日ほど遅れてのスタート。PS2にプロードバンドアダプターとHDDで構成される「PlayStation BB Unit」を装着してプレイを開始。

Zukka Ruschkaは、FFXIでは「Knife」でした。メインジョブは赤魔道士。

このときまでインターネットに繋ぐには、インターネットプロバイダの指定するアクセスポイントに電話回線でアクセスして、使い終わったら回線を手動で切らないといけませんでした。インターネットする事は、アクセスポイントに電話かけ続けてるようなもの。電話なので使えば使うだけ料金がかかる従量制です。

長く使いたい人は、夜のみ定額で使い放題になる「テレホーダイ」というサービスを利用していました。「テレホーダイ」は、電話の利用者が減る夜に、もっと使ってもらおうというコンセプトの商品だったはずが、インターネット普及に伴ってこぞって“ネットユーザー(これ死語ですね)”が集中して、かえって混みあってしまうという事態になりました。

幸いにもFFXIサービス時には、ISDN時代に移行している時期で、常時接続の定額制サービス「フレッツISDN」がスタートして、一気に常時接続“ブロードバンド時代(これも死語)”へなだれ込みました。ISDNの最大通信速度は64kbps。“ギガ”どころか“メガ”にも届かないんですよね。それでも速いなぁなんて言っていたわけです。

そんな「越えるべき壁だらけ」の時代に、「MMORPGをやっている」なんていうと、かなり変人扱いされました。実際に変人も多かったですね。遊べは遊ぶほど通信費がかかる時代に、HNMと呼ばれる希少なモンスターがPOPするのを24時間以上張り込むとか、リアルで何してる人なんだろうという感じでした。

通称“ジュワタコ”NM、1週間ぐらい張り込んだ気がする
ジュワユース取得は、「FFXIでの嬉しいこと」ベスト3に入る

また、MMORPGは日本より海外のほうが普及していたことと、FFXIVのように日本・北米・欧州とデータセンターが別れていなかったこともあり、北米プレイヤーもアジア圏の人たちも、みんな同じ環境でプレイしていました。日本語圏以外のプレイヤーがいるのは当たり前で、英語のシャウトも飛び交っていました。それぞれつたない英語や日本語(英語環境では日本語が打てないのでローマ字状態)でコミュニケーションを取りながら探り探りプレイしていました。それを嫌がる人がいましたが、自分はそんなに嫌いじゃありませんでした。

PS2版FFXIのスクリーンショット、この解像度でプレイしていた驚きがそこにはある。

そんな時代のMMORPG。モニタはアナログテレビが想定されていましたのでそれほど高精細ではありません。解像度は640×480ピクセル、縦横比は当然4:3です。そのなかに、パーティの情報やチャット欄、マクロセットなどがところ狭しと表示され、解像度に対して情報が占める面積が多く、クリーンな視界は1/3ぐらいでした。

こちらはPC版。あっちの世界のテンゼン

数年後、より快適なプレイ環境を求めて、PS2版からPC版にスイッチ。このとき初めて自作PCを組みました。当時はWindowsXP時代。ずっとMacユーザーだったので、「ペースト」が「貼り付け」だったりと、同じ作業なのに使う言葉が違って、戸惑ってばかりでした。

なんだかんだ続けてプレイしていましたが、あるリアルの事情で一度休止し、後に復活しましたが、PS3のとあるゲームがきっかけでログインする頻度がグッと下がり、その後もしばらくそのまま課金だけしていましたが、2014年についに課金を切りました。

いま、ウェルカムバック&ディスカウントキャンペーンで、無料ログインできるようなので、久しぶりにヴァナ・ディールを旅してみようかな。

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